「アンダーカレント」を読んで

 とても寒い朝だった。曇り空のはずが、光だけやけに鮮やかなのは雪が積もっていたからだった。僕は久々の雪に興奮して、妹を連れてすぐさま公園に行った。

 そこに慣れ親しんだ姿はなく、静謐なその白さは清らかでありつつも、そこにはなにか耐え忍ぶような苦しさがあった。けれど、そんなことは遊んでいるうちに気にも留めなくなる。僕らはいつもと同じように過ごし始めた。

 池が凍っている、と彼女は僕を呼んだ。行ってみると池があるはずの場所に彼女が立っていた。僕は驚きと共に不安が首をもたげるのを感じた。おそるおそる足を踏み出し、確かめるような足取りで歩く。次第に新たな遊び場に対する興味が僕の心をとらえた。僕は跳ね、そして駆け回った。雪は僕らの声を吸ってさらにその白さを増すようだった。そのうちここが池の上だと忘れていた。僕はいつまでもこのままでいられると思った。何も変わることなく、この白さの中で僕たちは生きていけるのだと。

 

 あくる日は暖かい風が吹いていた。公園に行くとあの白さはなく、惨めな灰色がこびりついていた。池はもうあの姿を覚えてはいなかった。水面の得体のしれない黒さと不気味な静けさだけが、池の敵意だけがそこにあった。

 

 

 しばらくして僕はこの町を離れることになった、彼女を残して。新しく住む町は南の方に会って、池なんか凍りそうになかった。

 ある年の冬、珍しく雪が降った日に僕は池を見に出かけた。腫れあがったような雪が降ったそばから汚らしい音を立てて地面に崩れていった。池は凍っていた。ためらいもなく僕は踏み込んだ。きりきりと軋んだが、割れなかった。彼女もあの池に立っているだろうかと僕は思う。そして、あの時のように「永遠」の時間にいるのだろうか。僕は跳ねあがり、思い切り池の氷を踏みつけた。氷は割れ、僕はそのまま池に沈んだ。不思議と冷たさは気にならなかった。浮き上がってしばらくしても水面は静まらなかった。波が僕を心地よく揺らしていた。ふとこの波があの池まで続いていけばいいと願った。彼女は気づかないだろう、でもそれでいいと思った。僕はまだ波に揺られていた。

 

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「アンダーカレント」を読みました。

前々から読みたかったけれど絶版状態だったかなにかで読めずじまいでした。映画化をきっかけに再販されたそうで、この度読むことができました。

作品を通して穏やかさの中に通奏低音のように張り詰めた感じがあり、異様な雰囲気が表されています。いかに日常が薄氷の上にあるか、いかに黒々としたものと表裏一体であるか、というのが感じられます。そして日常を信じている人たちと黒いものを見つめる人たちは分かり合うことができません(黒いものを見つめる人たちの行為は異常なものー失踪、下着泥棒、誘拐ーといった形で現れるため)。しかし、黒いものは皆等しく抱えているものです。私たちはそれを見つめることで分かり合えるのかもしれない。この作品に明確な救済や和解はありませんが、最後にそういった希望はほのかに見えます。静かに、しかし確かに胸を打つ作品です。